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◆ ◆ ◆ 長い夏(5)◆ ◆ ◆ 2008/08/09 (Sat) 14:36 医療センター3階に在る救急救命センターの家族控え室は、様々な思いで患者に寄り添う人達が、それぞれのスタンスで時間を過ごしている。手術を受けて回復を待つ患者の家族も居れば、病状が極めて重篤で予断を許さない患者の家族も居る。 また同じ患者の親族でも、患者との距離感によって、そのスタンスは大きく違う。 みんながみんなこの部屋の意味を理解して入ってくるわけでないことは解っていても、やはり大声で笑いながらワイワイしゃべられたりすると、どうにもイライラしてしまう!! けれどそんなとき、「こら…そんなことでイライラしよってどうする!」っていうお袋の声が心の中で聞こえて我に返る!! この期に及んで、いったいどっちが付き添いなんだろう!! お袋の様態は一進一退を繰り返した。 心臓に無理な負担をかけないように、昇圧剤の量を少しずつ減らしていくと、減らした直後は60mmHgとか時には50mmHgくらいまで減圧するものの、しばらくすると再び70〜80mmHgくらいまで増圧するなど、お袋の心臓はがんばって動いてくれていた。 特に「孫が帰ってくるからがんばってね」と声をかけると、その直後には100mmHgくらいまで増圧したり、孫が帰って「祖母ちゃん帰ったよ」と声をかけたときや、僕が「お母ちゃんはいつも仕事だけは絶対に穴を開けたらいかんって言ってたから今からコンサートに行ってくるね」と声をかけたときなどは、 なんと驚いたことに120mmHgなどという正常時の値まで叩き出した。 しかも倒れた日から5日目になるその日の夜は、考えられないことに12会に設定されている人工呼吸器の呼吸数を表す数値が13となり、ピンク色になって自発呼吸が現れたことを示したという!! そうなると、すでに臨床的脳死状態であるという事実を受け入れているはずの僕でさえ、もしかしたら…っていう期待を膨らませてしまう!! しかし翌日からは静かに順当に下降線をたどり、もう今夜にも山が来ても不思議ではない状態になってきた。 こうなってくると、さすがに僕達家族も少しずつ状況を悟り、お袋を連れて帰る準備の話が出るようになった。 そしてお袋にかける言葉も「日曜日に孫が行くけん、なんとかそれまでがんばってよ…安心して行かしちゃってよ…」っていう感じで、もう最期が近いことは誰もが解っていた。 そんな中、お袋は孫が出発し、姉が大切な仕事のために中村に帰る日曜日まで、ほんとに「安心して行っておいで」と言わんばかりにがんばってくれた。 そしてその日曜日、家族はそれぞれの場所に帰り、病院には僕が一人で泊まった。 -- 一言感想(200文字以内) -- |