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◆ ◆ ◆ 仙台から石巻へ◆ ◆ ◆ 2012/10/25 (Thu) 12:04 24日の朝。気圧配置が冬型になり、太平洋側の石巻は晴天ながら、ホテルの窓を開けると、南国高知であればまるで晩秋のそれを思わせるような風が吹き込んでくる。 5日連続で毎日3時間以上歌ってたり、それら一つ一つのシチュエーションが、かつて経験したことのない類のものだったりしたこともあってか、さすがに喉もきついし、身体にも疲労感がある。 まだまだ修行が足りんな(..;) 22日の仙台フィルの皆さんとの共演は、高知から応援に駆けつけてくれた「にじいろ佳クラブ」のメンバーも、「素晴らしいできだった」と声を揃えるほど、とても充実したものになった。 前夜に続き、本番当日の入念なリハーサルでも、相変わらず「フェルマータ」とか「51小節のアフタクトから…」とか、宇宙語のような言葉が飛び交う中だったけど(苦笑)、メンバー個々のキャラクターを感じながら、次第に場に馴染んでいく感覚と、新たな境地へグイグイ引っ張られていく感覚が、とても心地良かった。 その感覚は、本番になると更に強くなり、ソロの曲でも、今までとは全く違う歌い回しやコード進行がひらめいたりと、何度も鳥肌が立つような瞬間があった。 そして、共演したメンバーの何人かが、僕と同じように感動の涙を流してくれていたと、とても嬉しいお話しも伺った。 緊張感と達成感…、最高に充実した時間を過ごさせてくれた仙台フィルの皆さん、本当にありがとうございました。 そして翌23日の昼、暴風警報下の三陸道を北上し、いよいよ石巻に入った。 最初に訪れたのは、門脇(かどのわき)小学校。 津波火災で校舎が燃え上がろうという正にその時、教師の機転で、2階の窓の外のひさしから裏山へ教壇の橋を渡し、教室内に避難していた数十人の命が助かった一方で、周囲では多くの尊い命が失われた現場だ。 激しい風雨の中、そこここに、まだ放置されたままのがれきが残る道を走り、学校に到着した。 敷地の側は墓地で、無残に焼け焦げた校舎の周りには、多くの墓石が立ち並んでいる。 宮城テレビの取材クルーが同行したこともあり、「芝居じみたパフォーマンスだけは絶対にしたくない」という、今思えばとんでもなく馬鹿げた邪念に、まだこの時点では捕らわれていた。 周囲の空気に心を澄ます。 漠々とした空間に吹きすさぶ風に乗って、雨が容赦なく頬を打つ。 それが沢山の呻き(うめき)声と涙のように感じた時、胸の奥から込み上げるように、唄が口を突いた。 -- 今旅立つあなたが残した 優しさの種が たくさんの花になった だからなんにも心配しないで 今はゆっくり休んでください あなたの命の灯火は 僕の みんなの心の中に いつまでも いつまでも輝き続ける どうか安らかに どうか幸せに いままでありがとう どうか幸せに -- 最後は涙で声にならない。 もうテレビカメラの存在など忘れていた。 寒さなのか何なのか、胸の前で合わせた手が、がたがた震えた。 その後車に戻り、アイトピア通り(市内中心部の商店街)へ移動し、歌を歌わせていただく予定の場所に入った。 この日のライブは昼夜2回で、午後はコミュニティーサロン「ジョイナス アイトピア」で、夜は隣の「かめ七(かめしち)呉服店」で、それぞれ準備してくれていた。 コミュニティーサロン「ジョイナス アイトピア」は、神奈川県横浜で教員をされていた落合早苗さんという女性が、私費を投じて建物を借り受け、仮設住宅や近隣に住む高齢者や子どもを対象に、ワークショップやお茶飲み、コンサートなどに使えるコミュニティースペースとして運営している。 落合さんは、震災後の報道等を見て何かしなければと被災地に入ったものの、余りの状況に「自分は何の力にもなれない」と落胆し、大川小学校近くの石に呆然と寄りかかっていると、「誰か肉親を亡くされたの?」と声をかけられた。 そうではないと事情を話すと、「それじゃぁおいで」と泥だらけの手で袖をつかまれ、ランドセルや小さな鉛筆のかけらなど、僅かでも我が子の消息に繋がるものを、ただ黙々と拾い集める親たちに混じって、何日も何日も、泥にまみれて活動をしたと言う。 そのうち、肉親を失った遺族や、仮設住宅への入居が遅れ避難所に取り残された人たちから、 「こんな寂しい思いをするなら自分も死んでしまえばよかった」と、絞り出すような言葉を聞いて大きなショックを受け、人と人との繋がりや、互いの思いを語り合える場所が必要だと思い立ち、元店舗だった建物を借りて「ジョイナス」をオープンした。 一方、夜の会場となる「かめ七呉服店」は、創業150年の老舗呉服店で、ジョイナスと隣接している。 津波によって、商品の着物は全て泥と油にまみれ、ずたずたに引きちぎられたものも多かったという。 店主の米倉さんの奥様が、その時のことを話してくださった。 失礼ながら要約させていただくと、お話しの内容は以下のようなものだったー -- お客様の着付けをしている時に突然大きな揺れが来た。 揺れが収まっても停電していて、情報が全く無い。 店から出て近所の人たちと話をしていると、津波警報が出ているようだけど、まさかここまでは来ないだろうと思っていた。 そのうち、ふと向こうを見ると、道路を川のように水が流れていて、そこから枝分かれした流れが、こちらに向かってくるのが見えた。 急いで店に戻り、90歳を過ぎた義母の手を引いて外階段を2階へ向かい、途中でUターンしている階段から下を見ると、すでに水が下から3段目くらいまで上がっていて、更に水位は見る見る上がっている。 スチール製のロッカーなどが倒れ足の踏み場もなくなっている3階まで必死に上がって難を逃れたものの、窓から外を見ると街は水没していて、その中で必死に電柱にしがみついている少女が見えたが、助ける術もなく、ただ励ましの声をかけることしかできなかった。 彼女は2時間余り頑張り抜いて助かったが、力尽きて流された人も多かった。 実際、ぼろぼろになった着物の中には、ご遺体も1体入っていた。 -- (「一つ前の日記」へ続く) -- 一言感想(200文字以内) -- 【美春】 お久しぶりです。最近めっきり寒くなりましたね 佳さんは めちゃめちゃ頑張っちゃう人だから…心身共にいたわりながら 毎日をお過ごし下さいませ 2012/11/16 (Fri) 15:18
【びわこのまるは】 石巻は奥さんの友人が結婚した頃に訪れた場所。もう、18年近く前になるかな。本当につらいですね。でも、佳さんの歌声がきっと癒しになったと思います。そして、私自身は佳さんの報告で忘れてはいけないと思っています。 2012/11/11 (Sun) 22:09
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