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☆今日のつぶやき☆

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◆ ◆ ◆ ありがとう平さん◆ ◆ ◆

2020/10/04 (Sun) 7:40

一昨日の廿日市市からの帰りは、久々の倉敷で1泊♪
予約していた「Bessel hotel」にチェックイン後、徒歩5分ほどの所に有るイタリアンのカジュアルなトラットリアのテラス席で鱈腹食べて飲んで大満足😄
ホテルの自室に戻ると、そのまま深い眠りに落ちたが、深夜3時過ぎには覚醒!!
重い身体で何度も寝返りを打って楽な姿勢を探り眠ろうとするも、やはり深酒による睡眠は麻酔のようなもので、決して良質の眠りではないらしく、益々目が冴えて眠れない😖
頭の中では、廿日市での昼間の奇跡のような出来事や、それに纏わる思い出が鮮明に蘇り、もう眠るのを諦めてLet's noteを起動し、関連資料を次々と読みふけった💻

広島県廿日市市に「はつかいち文化ホール ウッドワンさくらぴあ」という、キャパ1,000余りの素晴らしいホールが有る。
このホールで初めてライブを行ったのは2015年8月だった。
私にとって縁も所縁も無い同地に呼んでくださったのは、「ふくし文化塾はつかいち」というNPO法人。
特に同法人で役員をされていた平昭治(ひら あきはる)さんは、個人的にも熱く深く心を寄せてくださり、私の大臣表彰受賞等々、事ある毎にメールや電話で暖かい言葉をかけてくださった。
そして再び今年の8月に「さくらぴあ」で私のコンサートを企画し、ホールも抑えて準備が進んでいた1月、平さんから以下のようなメールが届いた。

「今年の5月に開催する『廿日市、津和野400年交流記念事業』にむけて津和野街道の絵を100枚制作をしていましたが、後10枚足らずのところで入院、現在検査入院中です。
何れにしろコンサートは必ず実行しますので安心してください。」

力強い文面を拝読しつつも、81歳という平さんの年齢を思うと不安が募った。
そしてその後、以下のようなメールが届いた。

「病名は「膵頭部腫瘍」で膵頭十二指腸切除、胆管空腸吻合の手術を行うことになりました。
手術するには開腹しないとできない部位なので、結構大掛かりな手術になるということです。
早く元気になって8月のコンサートを私の手で実行したいのでがんばって体力不足は、気力で補って回復に努めます。
安心してください。
佳さんの新しいCDを聞きながら頑張ります。
これまでのCDも持参して元気な「佳さん」の声を聴き回復に努めます。
佳さんも体を大事に活躍してください。」

そして手術が終わり、麻酔から覚めたその手で打ってくれたであろうメール……
本分は空白で、件名欄に「無事手術が終わりました、痛みも有りませんで」と有るだけのそのメールからは、まだ朦朧としている意識の中でも、とにかく少しでも楽に過ごせてることを必至に伝えて私を安心させようとする平さんの思いがヒシヒシと伝わってきた。
そこで私は、あえて以下のような脳天気なメールを送った。

「無事手術が終わったとのことで一安心しました♪
おそらく痛みは今日辺りがピークではないかと思います。
とにかく暫くはしんどい日が続くと思いますが、少しでも笑顔で過ごせる材料を見つけながら、乗り切ってくださいね。
私のように素敵な看護師さんに片っ端から名刺を渡すとか(笑笑)♪
入院生活を少しでも楽に終えられて、また元気な平さんで長生きしてくださることを衷心よりお祈りしています。」

それから1週間余り過ぎた或日、お由美丼と一緒に平さんのお見舞いに雨の廿日市を訪れた。
しかし、教えてもらっていた病院で尋ねても「そのような方は入院されていません」との答え!!
仕方なく、ご自宅の住所をカーナビに打ち込み、たどり着けたら持参したCDと手紙を郵便受けにお届けすることにした。

ナビに従って進むと、郊外の閑静な住宅地に着いた。
「あっ…平昭治さんの表札や…間違い無いね」。
しかしご家族が在宅されている気配は無い。
やはり郵便受けに…と思ったその時、「あっ…あれ??…佳さんじゃないですか!!」と、ひどく驚いた様子の女性の声!!
それは病院で平さんのお世話をして、学校を終えたお孫さんと共に雨の中を帰ってこられた奥様だった。
奥様によると、病院は私たちが訪れた所で間違い無かったが、面会謝絶になっていて、入院していることも非公開にしているため、総合受付の入院患者リストでは確認出来なかったのだろうとのこと。
「わざわざ高知から来てくださったのに申し訳有りません さぞかし主人が喜ぶと思うから、おかまいなければ会ってやってもらえませんか」。
お断りするという選択肢など有ろうはずも無い。

病室に入ると平さんは、暫く言葉も出なかったが、驚き喜び、そして涙ぐんでいる表情が、私にも有り有りと見えた。
その後、平さんからは以下のようなメールが届いた。

「佳さん先日は高知から見舞いに来てくださいまして有り難うございました。
丁度食欲食べる気力もなく落ち込んでいました。
一生涯忘れられない感激、感動のひとなりました。
2日間思うようになりませんでしたが、やっと食べる気力がでました。
佳さんの元気な姿によし頑張ろうと、元気をいただきました。
元気の回復が見えて来ました。安心してください。
とにかく、何がなんでも元気になって佳さんのコンサートを成功させます。
そして広島お好み焼きで祝杯。
本当に有り難うございました。」

この時、私たちが1分早くご自宅を離れていたら、奥様が1分遅く帰宅されていたら、もう平さんにお会いする機会は無かった。
それから5日後、以下のようなメールが届いた。

「膵臓ガンと診断が出ました。
これから抗がん剤治療が始まります。
僅かな生存率ですが治療し奇跡を信じて頑張ります。
8月までは十分時間もありコンサートは大丈夫です。
生きる悦びを感じながら目標があるので大丈夫です。
8月のコンサートは私の人生最大の楽しみです。
頑張る以外に途はありません。
生き甲斐です。
これからは一日一生生きてる悦びに感謝しながら楽しみます。
頑張ります。」

退院してからの平さんは、日に日に食欲も落ち体力も減退していく中でも、5月の展覧会に向けて残り10枚の絵を気力で描き上げ、コンサートの実現を夢見つつ、6月19日に永眠された。
出会い関わった人を心底大切にし、多くの方々に惜しまれつつも、正に最期まで全力で生き切った素晴らしい生涯。

結局8月の私のコンサートはコロナ騒ぎもあり中止になったものの、平さんのもうひとつの生き甲斐だった『廿日市、津和野400年交流記念事業』は4ヶ月遅れで開催され、平さんが正に命がけで描きあげた100枚の力作も「はつかいち美術ギャラリー」の壁面を力強く飾った。
私たちも一昨日現地を訪れ、漸く観賞することが出来て誇らしい気持ちを共有した。
その後、お線香などお供えすべく平さんのご自宅を尋ねるも、ご家族がお留守だったので、持参した新高梨を置かせてもらって帰ろうとしたその時、お由美丼が丁度ご帰宅される奥様を発見!!
「まぁ…まぁどうしましょう……あの時と…あの時と同じだわ!!」
それから、お仏壇の前で手を合わせ平さんに心からの御礼を申し上げ、暫く奥様とお話しして、そろそろおいとましようとしたその時、ドアホンが鳴りお客様が。
「あら○○さん…まぁどうしましょう…今すっごい方が見えられてるんですよ!!」
たまたまそのタイミングで尋ねて来られたのは、平さんと共に私のコンサートに深く関わってくださっていた方で、これまた故人のお引き合わせを確信するのに十分な出来事だった。

さて今日は、コロナ禍で結婚を延期せざるを得なかったカップルを2組招待し、四万十の自然や食べ物を満喫して貰い、その後市民でお祝いするというイベント内でミニライブを行うため四万十市に帰郷♪
思い出の1ページに少しでもしあわせ色を添えられるように、平さんから頂いた優しさを胸に全力で務めよう。

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