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◆ ◆ ◆ 自身へのメッセージ◆ ◆ ◆ 2011/04/09 (Sat) 12:41 またずいぶん更新間隔が空いてしまった。あの日以来、自身の中でいろんな思いが沸き上がり、せめぎ合い交錯し、まとまらなくて……。 多くの人がそうだったように、震災直後は、テレビ等で刻々と伝えられる情報に終日釘付けになり、そのあまりの惨状に涙を流したり、現状何もできない自分を責めて落ち込んだりと、まさに俄鬱のような状態になる日もあった。 そしてその間に多くのブログ等を読ませてもらい、それらから沢山の学びや気づきをいただき、やっとこうして自分の思いを書いてみようと思うようになった。 ■ 震災(津波) 某首長の「罰が当たった」的な暴言は全く言語道断だけど、人類がこの災害を重大で緊急な警鐘と捕らえて、一刻も早く次の行動に出ることこそが、被災者・犠牲者の苦しみや無念を少しでも無駄にしないためにも極めて重要なこと。 地球全体の活動である自然現象を、鉄やコンクリートで押さえ込みコントロールするなどという考えはただの思い上がりだということに、人類の身勝手で刹那的な欲望を満たすために築く城壁なんて自然の前では無力だということにもうとっくに気づいてる人は少なくないはず。 世界的に知られた堤防で守られた地域でも沢山の犠牲者がでた反面、「津波てんでんこ(津波が来たらてんでんばらばらになってもとにかく逃げろ)」という考えを日頃から確認し訓練していた小学校では、校舎はやられたものの職員も児童もほとんど全員が無事だったと聞く。 むろん地形など条件の差もあるし、彼の堤防で津波の高さや勢いはずいぶん抑えられたという専門家(?)の見解も聞くけど、いずれにしろ、人類も自然の一部であることをもっと自覚して謙虚に生きなければと、また今回のことで改めて思い知らされた。 ■ 原発 先輩方の献身的な反対運動のおかげで原発の無い地域に暮らし、「原発はエコで安全」という都合のいい宣伝にすがりつくようにして電気の恩恵だけに酔いしれてきた自分。 ある病院で、駐車場が手狭になり混雑を解消しようと駐車スペースを増やしたら、車で来院する人が増えて結局混雑は一時的にしか解消しなかったというエピソードを、誰かのブログで読んだ。 また例えば、子供が欲しがるままに親が無秩序に与え続ければ、おそらくその子は益々我が万々になって欲望のままにあらゆるものを貪り(むさぼり)続け、結果的に苦しみ破滅することになるかもしれない。 欲望は限りないものだから、満たしても満たしても更なるものを求め続ける。 特にテレビ等でグローバルに情報がばらまかれる現代、それによって大勢が同じ方向に走り出す時の圧力はものすごく、悲しいことによほどのことがなければ後戻りはできない。 しかし逆に言えば、多くの犠牲を払ったこの一大事だからこそ、そしてウェブなど情報媒体が多様化して、よりきめ細かい情報選択ができるようになってきた今だからこそ、今までの大きな流れや価値観まで見直す大チャンスとも言えるだろう。 どうやら僕達は生活圏も行動圏も分以上に広げすぎたのかもしれない。 多くの人が節電を心がけただけで、電力需要はずいぶん減ったと聞く。 一部地域の人(将来的には全人類かもしれないが)の犠牲の上に築いた利便性を追求し突っ走ってきた愚行は、もう一刻も早く見直さないといけない。 他人事みたいに「手遅れ」なんて言ってないで、今からでも何かを始めなければ。 ■ 自粛?? 著書「五体不満足」等で有名になった乙武洋匡さんは、日刊サイゾーのインタビュー記事でこんなことを言っている。 -- 「集客や停電の影響があっての中止なら分かるけど、例えばまったく関係のない西日本でも自粛するというところには疑問を感じますね。 本当に被災者の方々、被災地のためを思っての"自粛"なのか、この時期に開催をして批判を浴びることを恐れた自分たちのための"自粛"なのか。 後者であれば、それは"自粛"ではなく"他粛"ではないのか、と。 それをTwitterに書いたところ、フォロワーさんが「それは"自粛"ではなくて"萎縮"ではないか」と言っていたんです。すごくうまいこと言うな〜と思いましたね(笑)。」 -- ↑「誰のための自粛なの?」乙武洋匡の"不謹慎厨"に対する思いとは!? (日刊サイゾー - 04月04日 08:10)より引用 毎日毎日、今この時間にも、世界の何処かできっと悲しい出来事が起こってる。 日本でも沢山の命が理不尽に失われてきたけど、その度にみんながいろんなことを自粛してきただろうか?? 例えば残酷な殺人事件のニュースを申告な声で伝えた直後に、芸能人の結婚だの不倫だののニュースをワイワイと伝えてきたマスコミを「不謹慎」と責めただろうか?? そして上記の記事を知るきっかけにもなった友人の日記に付けられたコメントには以下の一文があり深く得心した(あずさん、モモンガさん勝手に引用してすみません)。 -- 僕は悲しみからの距離だと思うんです。 そしてその距離に応じた役割がある。 一緒に悲しむ人がいて、 背中を叩いてくれる人がいて、 勇気づけてくれる人がいて、 能天気に笑っている人がいる。 前を向く為には、その全部が必要なんだと思うんです。 -- 某日、世界的に(?)有名な慈善団体のイベントに呼んでいただくことになった。 ところがその団体の役員さんから「時節柄華美なパフォーマンスは自粛したいので歌の内容も十分に考慮してほしい」という趣旨の連絡が何度もあったという。 いったい僕は何を歌い何を話せばいいというんだろう?? 実際に感じてもない痛みや悲しみを語れるはずもないし、かといって直接状況を見たわけでもない被災者の皆さんに対して空々しい励ましの言葉なんて言えるわけがない。 今の僕にできることは、とにかく普段通りのメッセージを、普段通りの歌と語りで伝えること。 そのスタンスでやるだけだ。 さて、明日は午前中高知市でグランドソフトボールの大会に出場し、午後は岡山の桃太郎アリーナで、そして夜は「岡山国際交流センター」でのステージ。 アスリートからアーティストへ、華麗(加齢?)に(笑)変貌してがんばります♪ -- 一言感想(200文字以内) -- 【mie】 私も毎日自問自答の毎日です。私の仕事はツアコン。ツアーも中止が多い中、参加していただいているお客様には思いっきり楽しんでいただきたい。でも、立ち寄り先、宿泊先では被災地の映像。ノー天気に笑ってていいのかな・・・。 2011/04/18 (Mon) 20:11
【かず】 高知⇔岡山強行スケジュール。佳さんが『お池に架かる橋を渡ると何かが起こる。』(ある時は大雨で四国に渡れず。またある時は強風で渡り終えると通行止め。ある時は季節ハズレの黄砂など数えるとキリがない)さて、今回は?何事も無し とはやはりいかないかも? 2011/04/12 (Tue) 2:13
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